パレスチナ基礎知識
パレスチナの位置
日本との位置関係は上図の通りで、日本との距離はおよそ9,000キロメートルです。 拡大地図は右図の通りです。東をヨルダンに接するヨルダン川西岸地区と、西を地中海、南をエジプトに接するガザ地区に分かれます。 面積はヨルダン川西岸地区が5,655平方キロメートルで、三重県と同程度。ガザ地区は365平方キロメートルで、東京23区の約半分です。 |
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パレスチナ難民
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の統計によると、同機関に登録されているパレスチナ難民の数は下記の通りです。
| UNRWA登録難民総数 | 約440万人 |
| (地域別難民数) | (全登録難民数に占める割合) |
| シリア レバノン ヨルダン ヨルダン川西岸地区 ガザ地区 |
約 44万人(10%) 約 40万人( 9%) 約185万人 (42%) 約 72万人(16%) 約101万人(23%) |
1948年以前には、現在のイスラエル・ヨルダン川西岸・ガザをあわせたところがパレスチナと呼ばれていました。ここで言うパレスチナ難民とは、48年にイスラエルが建国されたことによって住んでいる土地を追われ、周辺地域に逃れた人とその子孫のことです。当時難民となったのは、70万人から100万人といわれていますが、レバノンなどには未登録の難民もかなりの数がいるということです。
その後、67年の第3次中東戦争(この時、西岸とガザがイスラエルによって占領された)でも多数の難民が発生しましたが、その人々はこの数には含まれていません。
現在、全世界には約1,000万人のパレスチナ人がいるといわれています。この中には、イスラエルが建国されたときもその地にとどまり、その後イスラエルの国籍を得た約110万人の人々、48年以前からヨルダン川西岸やガザに住んでいて長くイスラエルの占領下に置かれた人々、あるいは欧米に移住した人々も含まれています。
国連は、パレスチナ難民に対して元の居住地に帰る帰還権を認め、また帰らない場合でも財産などの保証を認めていますが、イスラエルはこれを拒否しています。
パレスチナ・イスラエル略年表
| 1947年11月 | 国連パレスチナ分割決議採択 |
| 1948年 5月 | イスラエル独立宣言・第1次中東戦争勃発 |
| 1967年 6月 | 第3次中東戦争勃発・イスラエルがエルサレム旧市街, ヨルダン川西岸,ガザ地区,ゴラン高原を占領 |
| 1982年 6月 | イスラエルがレバノンに侵攻 |
| 1987年12月 | インティファーダ(抵抗運動)始まる |
| 1991年 1月 | 湾岸戦争に突入 |
| 1993年 9月 | PLOとイスラエルが相互承認(オスロ合意)・ パレスチナ暫定自治協定調印 |
| 1994年 5月 | ガザ・エリコ先行自治協定調印 |
| 1995年 9月 | 暫定自治拡大協定調印 |
| 1996年 1月 | パレスチナ評議会選挙実施 |
| 2000年 9月 | 第2次インティファーダ始まる |
| 2005年 1月 | パレスチナ自治政府議長選挙実施 |
| 2006年 1月 | パレスチナ評議会選挙実施 |
| 2006年 7月 | 第2次レバノン戦争勃発 |




