アトファルナろう学校にあるカフェテリアの責任者、アヤットさん(ろう者)は、ガザ市内にある図書館、カッタンセンターのカフェテリア店長も兼任するようになりました。
カフェテリアはアトファルナが運営を委託されており、ろう者のスタッフが軽食やお菓子を提供していますが、利用者の多くは「聞こえる人」で、手話が通じるアトファルナとは大きく違います。

カフェの店長として

カッタンセンターもカフェテリアのスタッフはみな「ろう者」です。私は店長として、フルーツジュースやロシア風サラダなど新しいメニューを考えるだけでなく、盛り付けや材料の見分け方などについてスタッフを指導しています。毎日3~5時間、2人の女性スタッフと仕事をしています。現在3人目を入れようと検討中です。カッタンセンター側は聞こえる人を1人入れようと提案してきましたが、私は断りました。

「聞こえない人に、どんな風に話しかければよいのだろう」。最初、カフェテリアに来る人たちは戸惑っていました。でも私は、聞こえる人たちにろう者やそのコミュニティーとどう接していけばよいか知ってほしいと思っています。ろう者は社会の一部で、無視することはできないことも。

スタッフにも、怖がったり無視されていると感じたりしてほしくありません。むしろ自分たちはできるんだ、聞こえる人と一緒に働くんだと感じてほしい。聞こえる人とどう接すればよいか見つけてほしい。

「聞こえる人」たちの中で

私自身は難聴なので少しは音声で話すことができますが、仕事では手話を使います。「手話しか使わないけれど、聞こえる人とコミュニケーションができるわよ」と言いたいからです。お客さんはまったく手話を知らないかもしれませんが、カフェのスタッフたちは「これがほしい」という手話を教えられますよ。

子どもたちの間では「聞こえない人がレストランで働いているよ。見に行こう。何か買ってみようよ」と話題になっています。メニューの中にチーズサンドを見つけて、ほしいものを指します。するとスタッフは子どもたちにチーズという手話を教えます。次からは子どもたちは手話で注文しますよ。スタッフも今では「私たちは大丈夫。みんなとコミュニケーションできるし、自分たちのやり方がわかったから」と言っています。今日は、私がカッタンセンターに行かないでおいて、彼女たちだけでどうやりくりするか試しているところです。

衛生面の管理には特に気を付けています。またテーブル、椅子、ナプキンのセットの仕方などは、アトファルナのガイドラインを適用しました。カッタンセンターでは衛生面があまり重要視されていないようだったので、私が改善したのです。

私は4歳半でろう者になりました

私は生まれたとき聴力がありました。4歳半ぐらいの頃、砂遊びをしている最中、木材を運ぶ馬に顔を蹴られて木材がおなかに落ちました。4日間、こん睡状状態でしゃべれず、聞こえず、目も開けられませんでした。舌が切れていました。最近「手術をすれば90%の聴力は元に戻って、補聴器も外せる」と言われましたが、補聴器のあるろう者としての生活に慣れているので、今さらリスクを冒す気持ちはありません。

4年生までは一般の学校に行っていました。教室ではいつも前の席に座らせてもらって、表情や唇の動きが見える位置にいました。でも後ろの席になってしまうこともあって、もう学校にいたくない、家にいたいと思いました。そして「アトファルナろう学校」のことを聞いたのです。

アトファルナで世界が広がった

初めてアトファルナに来たとき、最初はみんなが手で話をしているのが怖かったです。ジェリー校長(当時)が優しく手を引いて学校の中を連れて回り、私と同じような難聴の子どもたちを紹介してくれました。

最初の日にいくつか手話を覚えました。アート、コンピューターのメンテナンスなど、アトファルナの外でもたくさん研修を受けました。

その後、補助教員になり、1年生、2年生、3年生と受け持っていきました。それから図画工作のアシスタントになって、2年前には教師に昇進して、4年生、5年生、6年生を教えるようになりました。

人生を拓き進む力を

「私はろう者で、難聴の女性。でも、プロフェッショナルとしての生活をしているんです」ということを、聞こえる人たちだけでなく仲間のろう者たちにも証明したいのです。「あなたは人生の中で何かを成し遂げられるし、自分の道を見つけ、コミュニティーの中で自分の居場所を見つけることができるんだ」と仲間を励ましたい。

学校を卒業しても家でじっとしているしかないろう者たちをたくさん知っています。そうした人たちに「大丈夫だよ、働けるよ」と背中を押してあげたい。テレビで料理番組を見ます。パレスチナの地方局にアイデアを持ち込んで、ろう者のための料理番組ができたらと思います。

今年のうちに、ガザ市にスタッフが全員ろう者のレストランをオープンする計画があります。そこは私にとってもろう者の仲間にとっても大事な場所になるでしょう。私はろう者と接することへの「恐れ」という壁を壊したいと思っています。ろう者と聞こえる人が一緒に暮らすために一生懸命働きたいと思っています。

また多くの人が「耳が聞こえない人は働けない」と誤解しているので、社会のみんなに「私たちはできる、時に聞こえる人よりもできるんだ」と知ってほしいのです。もうじき「ろう者たちが自分たちでレストランを作ったよ、運営しているんだ」と話題になりますよ。

周囲の人々のメッセージ

「アヤットはとても意欲的です。私は創造的に仕事をしてくれる人を求めていました。料理ができると聞いたときは驚きましたが、アートも料理も同じだということを彼女が教えてくれました。」(「アトファルナろう学校」ナイーム校長)
「手話覚えたよ。(手話で)ジュース、2シェケル。うん、手話って面白いよ。」(カッタンセンターを訪れたある子ども)
「アヤットさんがマネージャーになって変わったことがいくつかあります。メニューが増えたこと、カフェテリアが清潔になったこと、ケーキやサラダの種類が増えたことですね。」(カッタンセンター職員)