「アトファルナろう学校」の初代校長、ジェリー・シャワさんは、シカゴ生まれのアメリカ人です。パレスチナ人と結婚してガザに移り住み、障がい児のための活動を続けてこられました。(1994年、ジェリー・シャワさん来日講演から)

孤独の中で

専門家によると聴覚障がい者はガザだけで16,000人(その半数は子ども)いるだろうといわれていました。しかしガザには、彼らが通える学校も、聴力検査などのサービスを受けられるところも一切ありませんでした。そのため、ろうの子どもの多くは家に引きこもり、孤立していました。一日中泣いているだけの子どももたくさん居ました。みんなとても寂しい思いをしてきたのです。
苦しいのは親も同じで、何とかしてやりたいけれど、どうしていいのかわからない。家族も精神的に参ってしまい、家庭が崩壊してしまった家族さえありました。

言葉も時も持たない子どもたち

「この子どもたちをどうにかしたい」と思っていた頃、1991年にパレスチナ子どものキャンぺーンと知り合いました。そして日本の市民の寄付で1993年に「アトファルナろう学校」を開校することができました。
最初は27人の子どもたちと授業が始まりましたが、3歳の子どもと11歳の子どもが全く変わらない状況でした。全く教育を受けていないからです。
最初はどの子も自分の名前を知りませんでしたし、名前があるということさえ分かりませんでした。また、「時間」の概念というものも無く、昨日と今日の違いも、時が流れていくことも分からなかったのです。
誕生日会を開きケーキにロウソクを灯し、子どもたちはとても喜んでいました。でも、それがどういう意味の会なのか、知っている子どもは一人もいませんでした。昨日、今日、明日、そして一ヶ月や一年という単位が分かって初めて誕生日について理解ができるのです。

学ぶことで世界が開かれる

ガザにはろう学校がなかったので、この分野の専門家もいませんでした。そこでまず先生を養成するために1年間のプログラムをつくり、先生となる人たちもしっかりと選びました。学校の教員資格を持っている人で、これまで障がい者に対する活動に従事した経験や、活動を理解できる人などです。その上で1年間の養成期間を設けて、700時間かけて先生の訓練をしました。
先生の中にはヨルダンのろう学校で専門教育を受けた聴覚障がいの人も3人います。この先生方は自分の体験があるため、教えることがとても上手です。
言葉というものがあることを学んだ子どもたちは、すぐにモノの名前を覚えるようになり、他人に伝えたり読んだり書いたりすることができるようになるのです。

たくさんの"未来"をつくるために

学校は、財政的にはいつもギリギリの状態で活動しています。しかし、子どもたちの家庭の多くは通学バスの交通費さえ払えない状況ですから、授業料を取るわけにもいきません。だから私たちの学校が自立していくには、学校自身が収入を得ていく方法も真剣に考えなければならないと考えています。子どもたちが卒業してから自立できるための職業訓練も大きな課題です。
アトファルナろう学校には、320人以上の子どもが入学を待っています。子どもたちを少しでも多く受け入れてあげたい、それが私たちの心からの願いであり、このためにも活動を更に広げていきたいと考えています。