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パレスチナ問題とは

パレスチナ問題とは パレスチナ問題とは

兵士に立ち向かう素手の少年の姿。あるいは破壊された家の前でぼう然とする家族...。「パレスチナ問題」という言葉は日々のニュースで取り上げられています。また教科書の中で誰もが一度は目にしているでしょう。
パレスチナにあるエルサレムという都市は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地として世界中の関心を集めているため、「宗教対立」とか「何千年前の紛争」とか言われて、「難しくて私たちには判らない問題ですね」とテレビなどで安易に片づけられることもあります。
でも実際のパレスチナでは、長い間宗教の異なる人々が共存していました。また大きな紛争になったのは、たかだか百年間にすぎません。本当に難しく、解決できない問題なのでしょうか?
ここでは簡単に、パレスチナとパレスチナ問題を解説します。
(詳しくは様々な本も出ているので読んでみてください。)

  1. 「パレスチナ」はどんなところ?
  2. 封鎖された「ガザ地区」
  3. 巨大な壁で分断された地域
    「ヨルダン川西岸」
  4. そもそも「パレスチナ難民」とは?
  5. 「パレスチナ問題」は
    どのようにして起きたのか?
  6. レバノンと難民問題

1.「パレスチナ」はどんなところ?

パレスチナ問題とは

パレスチナは、東をヨルダンに接する「ヨルダン川西岸地区」と、西を地中海、南をエジプトに接する「ガザ地区」に分かれています。 ヨルダン川西岸とガザは1994年以来「パレスチナ自治区」とされ、「パレスチナ自治政府」が存在していますが、 独立国家ではありません(国連のオブザーバー資格を持っています)。
人口は両地域を合わせて約455万人で、その過半数が15歳以下の子どもです。 面積はヨルダン川西岸地区が5,655平方km(三重県と同程度)、 ガザ地区が365平方km(福島市と同程度)です。
面積は第二次世界大戦終結以前のものから、国連の分割決議案、中東戦争を経て大幅に縮小しました。 現在も、ヨルダン川西岸地区ではイスラエルの入植活動により、ガザでは占領政策等によって実質的な面積が縮小し続けています。

パレスチナ問題とは

2. 封鎖された「ガザ地区」

ガザは周囲をイスラエル軍に完全に包囲され、人や物の出入りが厳しく制限されています。 人口の約7割は難民で、8つの難民キャンプがあります。 人々は国連や支援団体からの援助物資などで命をつないできました。 2008年以降は、ほぼ2年おきにイスラエル軍の激しい爆撃を受け、多くの市民が犠牲になっています。

パレスチナ問題とは

1993年にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の間で結ばれた「オスロ合意」に基づいて、 翌年ガザ地区は、ヨルダン川西岸地区と共に「パレスチナ自治区」になりました。 しかし今、ガザはイスラエルに軍事封鎖されています。


「ガザ地区」を知ろう

パレスチナ問題とは

1993年にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の間で結ばれた「オスロ合意」に基づいて、 翌年ガザ地区は、ヨルダン川西岸地区と共に「パレスチナ自治区」になりました。 しかし今、ガザはイスラエルに軍事封鎖されています。

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3. 巨大な壁で分断された地域
「ヨルダン川西岸」

パレスチナ問題とは

面積の60%以上がイスラエルの軍事支配下にあり、各地でイスラエル入植地が作られています。 入植地との境界には高さ8mに及ぶ巨大な壁が建設され、町や村が分断されています。 また、入植地の近くでは農地の破壊や土地の没収が頻繁に起こり、投石に対する発砲や逮捕などで緊張した状態が続いています。


「ヨルダン川西岸地区」を知ろう

パレスチナ問題とは

丘の上に整然と立ち並ぶイスラエルの入植地がパレスチナの村(手前)をとり囲む

1993年にイスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の間で交わされたオスロ合意に基づき、 翌年、ヨルダン川西岸地区は、ガザ地区と共に「パレスチナ自治区」になりました。 しかし、ヨルダン川西岸地区は面積の60%以上がイスラエルの軍事支配下に置かれ、 常に厳しく監視されています。また、各地に多くのイスラエルの入植地が作られています。

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4. そもそも「パレスチナ難民」とは?

パレスチナ問題とは

1948年のイスラエル建国に伴い、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失って、 ヨルダン川西岸地区、ガザや、ヨルダン、レバノンなど周辺諸国に逃れました。 以来、「故郷への帰還」を切望しながら、70年以上におよぶ年月を難民として過ごしています。 今や三世代、四世代となったパレスチナ難民は、世界中で約560万人に達し、世界で最も大きな難民グループとなっています。

  • パレスチナ難民が置かれた状況

    一般的に世界の難民は「国連難民条約」の適用を受け、「国連難民高等弁務官(UNHCR)」の管理下にありますが、 パレスチナ難民だけは、UNHCRが発足する以前に発生しているため、 「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)」の管理下におかれています。 国連難民条約とUNHCRによる権利や保護も受けることができません。

  • パレスチナ難民の生活

    多くは、半世紀以上前に建設され老朽化した難民キャンプで、無国籍状態に置かれて暮らしています。 国によって異なりますが、市民権を得られなかったり就労制限を課されたりするなど、 社会的権利を持てず、 第三国への移動もできない人々も多くいます。 教育や医療などのサービスはUNRWAが提供していますが、 UNHCRよりも支援内容が少ないのが現実です。 またUNRWAは「難民の保護」をする権限を持っていないため、 パレスチナ難民の人権はしばしば侵害されています。

パレスチナ難民の分布
(2021年UNRWA統計)

  • UNRWA登録難民総数
  • 638.8万人
  • ヨルダン川西岸地区
  • 108万人
  • ガザ地区
  • 164万人
  • レバノン
  • 54万人
  • ヨルダン
  • 246.3万人
  • シリア
  • 65.5万人


「パレスチナ難民」の状況

世界の難民、
5人に1人がパレスチナ難民

パレスチナ問題とは

1948年、イスラエルの建国宣言を受けて第1次中東戦争が勃発しました。 200以上の村が破壊され、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失いました。

これを、パレスチナでは「ナクバ」(破局)と呼んでいます。 周辺諸国に逃れたパレスチナの人々は、以来「故郷への帰還」を切望しながら、70年以上にわたり難民として生活してきました。

当初70万人だった難民は、避難先で三世代、四世代目となり、 今や約560万人に達して世界で最も大きな難民グループとなっています。

UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)が発表している世界の難民総数およそ2,590万人に照らすと、 実に5人に1人がパレスチナ難民です。

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5. パレスチナ問題は
どのようにして起きたのか?

第一次大戦におけるイギリスの「三枚舌外交」、第二次大戦後のシオニズムの高まり、イスラエルの建国宣言と数次にわたる中東戦争など、パレスチナ難民が生まれた経緯を解説します。


パレスチナ問題の経緯

パレスチナ問題とは

1993年にイスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の間で交わされたオスロ合意に基づき、 翌年、ヨルダン川西岸地区は、ガザ地区と共に「パレスチナ自治区」になりました。 しかし、ヨルダン川西岸地区は面積の60%以上がイスラエルの軍事支配下に置かれ、常に厳しく監視されています。 また、各地に多くのイスラエルの入植地が作られています。

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6. レバノンと難民問題

レバノンには、70年以上前から約20万人のパレスチナ難民が住んでいますが、 2011年のシリア内戦以降、約 85万人のシリア難民と約2万8千人のパレスチナ人シリア難民が生活し(2021年時点)、 国の人口の4人に1人が難民という世界でも大変な状況が続いています。 パレスチナ難民は長期にわたり、レバノン各地にある難民キャンプやその周辺に暮らしていますが、 市民権がなく土地の所有は認められず、また厳しい就労制限があります。低賃金の日雇いや季節労働者が多く、 国連やNGOの支援に頼らざるを得ない生活を続けています。 シリア難民のための難民キャンプは認められておらず、多くの難民がテントやガレージ、非公式の難民キャンプ、 またパレスチナ難民キャンプで暮らしています。


レバノンと難民問題

パレスチナ問題とは

左:電線と配水管が絡み合う難民キャンプ内の通り 右:かろうじて日光が届く場所で物干し

レバノンのパレスチナ難民キャンプは、70年前に作られた当時にタイムスリップしたような、 陽も差さず密集した場所です。頭上には盗電の電線が蜘蛛の糸のようにめぐらされ、足元には排水が流れ、 毎年多くの感電死亡事故が起こっています。キャンプの出入りには軍隊の許可が必要です。 レバノンに逃れたパレスチナ難民は、他国に比べても特に過酷な生活を強いられてきました。

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  1. 「パレスチナ」はどんなところ?
  2. 封鎖された「ガザ地区」
  3. 巨大な壁で分断された地域
    「ヨルダン川西岸」
  4. そもそも「パレスチナ難民」とは?
  5. 「パレスチナ問題」は
    どのようにして起きたのか?
  6. レバノンと難民問題

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