パレスチナ問題とは

(エルサレム)
兵士に立ち向かう素手の少年の姿。あるいは破壊された家の前でぼう然とする家族...。
「パレスチナ問題」という言葉は日々のニュースで取り上げられています。また教科書の中で誰もが一度は目にしているでしょう。
パレスチナにあるエルサレムという都市は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地として世界中の関心を集めているため、「宗教対立」とか「何千年前の紛争」とか言われて、「難しくて私たちには判らない問題ですね」とテレビなどで安易に片づけられることもあります。
でも実際のパレスチナでは、長い間宗教の異なる人々が共存していました。また大きな紛争になったのは、たかだか百年間にすぎません。
本当に難しく、解決できない問題なのでしょうか?
ここでは簡単に、パレスチナとパレスチナ問題を解説します。
(詳しくは様々な本も出ているので読んでみてください。)
「パレスチナ」はどんなところ?

パレスチナは、東をヨルダンに接する「ヨルダン川西岸地区」と、西を地中海、南をエジプトに接する「ガザ地区」に分かれています。ヨルダン川西岸とガザは1994年以来「パレスチナ自治区」とされ、「パレスチナ自治政府」が存在していますが、独立国家ではありません。
人口は両地域を合わせて約455万人で、その過半数が15歳以下の子どもです。面積はヨルダン川西岸地区が5,655平方km(三重県と同程度)、ガザ地区が365平方km(種子島と同程度)です。
面積は第二次世界大戦終結以前のものから、国連の分割決議案、中東戦争を経て大幅に縮小しました。現在も、ヨルダン川西岸地区ではイスラエルの入植活動により、ガザでは占領政策等によって実質的な面積が縮小し続けています。

封鎖されたガザ

ガザは周囲をイスラエル軍に完全に包囲され、人や物の出入りが厳しく制限されています。人口の約7割は難民で、8つの難民キャンプがあります。人々は国連や支援団体からの援助物資などで命をつないできました。2008年以降は、ほぼ2年おきにイスラエル軍の激しい爆撃を受け、多くの市民が犠牲になっています。
ヨルダン川西岸 "巨大な壁で分断された地域"

面積の60%以上がイスラエルの軍事支配下にあり、各地でイスラエル入植地が作られています。入植地との境界には高さ8mに及ぶ巨大な壁が建設され、町や村が分断されています。また、入植地の近くでは農地の破壊や土地の没収が頻繁に起こり、投石に対する発砲や逮捕などで緊張した状態が続いています。
そもそも「パレスチナ難民」とは?

1948年のイスラエル建国に伴い、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失って、ヨルダン川西岸地区、ガザや、ヨルダン、レバノンなど周辺諸国に逃れました。以来、「故郷への帰還」を切望しながら、70年以上におよぶ年月を難民として過ごしています。
今や三世代、四世代となったパレスチナ難民は、世界中で約560万人に達し、世界で最も大きな難民グループとなっています。
パレスチナ難民が置かれた状況
一般的に世界の難民は「国連難民条約」の適用を受け、「国連難民高等弁務官(UNHCR)」の管理下にありますが、パレスチナ難民だけは、UNHCRが発足する以前に発生しているため、「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)」の管理下におかれています。国連難民条約とUNHCRによる権利や保護も受けることができません。
パレスチナ難民の生活
多くは、半世紀以上前に建設され老朽化した難民キャンプで、無国籍状態に置かれて暮らしています。国によって異なりますが、市民権を得られなかったり就労制限を課されたりするなど、社会的権利を持てず、第三国への移動もできない人々も多くいます。教育や医療などのサービスはUNRWAが提供していますが、UNHCRよりも支援内容が少ないのが現実です。またUNRWAは「難民の保護」をする権限を持っていないため、パレスチナ難民の権利はしばしば侵害されています。
パレスチナ難民の分布
(2018-2019年のUNRWA統計)
UNRWA登録難民総数 | 約560万人 |
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ヨルダン川西岸地区 | 約 86万人 |
ガザ地区 | 約142万人 |
レバノン | 約 47.5万人 |
ヨルダン | 約224万人 |
シリア | 約 56万人 |
パレスチナ問題はどのようにして起きたのか?
第一次大戦におけるイギリスの「三枚舌外交」、第二次大戦後のシオニズムの高まり、イスラエルの建国宣言と数次にわたる中東戦争...。パレスチナ問題は国際社会の中で翻弄されながら生まれ、混迷を深めてきました。