ろう学校支援
- 地元の女性たちと、ガザ初のろう学校「アトファルナろう学校」を開校開く
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1992年に地元の女性たちとガザ初のろう学校「アトファルナろう学校」を開校して以来、支援を続けています。 ガザで聴覚障がいを持つ子どもたちには学ぶ機会も福祉サービスを受けられる場所も一切なく、子どもたちは家に引きこもるしかありませんでした。しかし「アトファルナろう学校」ができたことで、子どもたちは手話を覚え、それぞれの能力を開花させて自立できるようになっています。 開校当初、27人で始まったろう学校には、今では3歳から15歳まで、およそ350人の生徒が通学しています。
- 「アトファルナろう学校」では...開く
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一般の学校と同じような教科学習や、美術、体育などの授業も行われています。また、2005年からは社会参画と自立支援を目的とする職業訓練コースも開始し、70人を超える青少年がパレスチナの伝統刺繍や織物、工芸品の製作、調理、接客サービスの指導を受けています。
ろう学校の卒業生たちの多くは、その後、職を持ち、家庭を持ち、市民としての誇りを持って生活をしています。
他にも、聴覚検査や補聴器の修理部門、障がい者家庭へのソーシャルワーク、クラフトショップ、手話講座などの活動も行っており、総合的な専門機関としてガザのろう者のネットワークを支えています。
- 年表(アトファルナの歩み)開く
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1992
ガザ初のアトファルナろう学校開校(幼稚園、小学校開校)
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2000
アトファルナ中学校開校
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2005
職業訓練コース開設(パレスチナ伝統刺繍や織物、工芸品の製作、調理、接客サービスの指導など)
聴覚障がい児の早期発見のための検査や診断部門開設 -
2008 - 09
緊急支援活動
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2012
「アトファルナ・レストラン」オープン
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2013
アトファルナ高校開校
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2014
緊急支援活動
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2015
聴覚障がいの早期発見と早期支援事業
乳児健診が十分でないガザでは、聴覚障がいの発見が遅れ、乳幼児期の適切なケアと支援が行われないケースが多いことから、乳幼児の聴覚検査と早期支援事業を実施。
ガザの大学に聴覚障害者向けのIT(情報技術)とコンピューター整備の2年間コースが開講 -
2016
各地域の診療所・幼稚園での巡回聴覚検査の実施
5,000人の子どもを対象に検査を実施。聴こえに問題がある子どもたちのアフターケア
聴覚検査、専門的支援、手話講習、母親向け研修、親子支援、コミュニティにおける理解促進、
家庭訪問(家族の心理サポート、ろう学校・職業訓練・手話教室などの紹介、家族のための手話講座、など) -
2017
クラス単位の支援「クラス・スポンサーシップ」開始(〜現在)。
小学校1年(8人)、小学5年(10人)の2クラス対象
教員給与、課外活動や教材、スポーツ用品などクラス運営の必需品支援、給食支援 -
2019
クラス単位の支援「クラス・スポンサーシップ」
アラビア語(国語)、算数、英語、理科などの学習のほか、図画工作、劇、パソコン、アニメ製作などの課外活動を行いました。特に、公立学校と連携して実施した課外活動は、聞こえる子、聞こえない子の垣根を超えて、交流する機会となり、子どもたちの心理的壁を取り除くことができました。また、学年を超えて活動することで、子どもたちがより楽しみながら学ぶ活動を実施できました。 -
2020
これまでの職業訓練の経験を活かし、身体障がい者向けの職業訓練を開始(〜現在)。
新型コロナウィルス感染症予防対策(衛生教育、SNSを利用したリモート授業の導入) -
2021
緊急支援活動
生徒やその家族への緊急時の情報提供、食料・生活用品の提供、心理ケア(専門家による訪問、ホットライン設置、子どものストレスケアのためのアクティビティ実施)、補聴器などの配布
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アトファルナの開校
「家に引きこもって孤立している子どもたちと苦しむ親を何とかしたい」。初代校長・ジェリー・シャワさんが、ろう学校開校当時の様子を語ってくれました。
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孤独の中で
専門家によると聴覚障がい者はガザだけで16,000人(その半数は子ども)いるだろうといわれていました。しかしガザには、彼らが通える学校も、聴力検査などのサービスを受けられるところも一切ありませんでした。そのため、ろうの子どもの多くは家に引きこもり、孤立していました。一日中泣いているだけの子どももたくさん居ました。みんなとても寂しい思いをしてきたのです。
苦しいのは親も同じで、何とかしてやりたいけれど、どうしていいのかわからない。家族も精神的に参ってしまい、家庭が崩壊してしまった家族さえありました。言葉も時も持たない子どもたち
「この子どもたちをどうにかしたい」と思っていた頃、1991年にパレスチナ子どものキャンぺーンと知り合いました。そして日本の市民の寄付で1993年に「アトファルナろう学校」を開校することができました。
最初は27人の子どもたちと授業が始まりましたが、3歳の子どもと11歳の子どもが全く変わらない状況でした。全く教育を受けていないからです。
最初はどの子も自分の名前を知りませんでしたし、名前があるということさえ分かりませんでした。また、「時間」の概念というものも無く、昨日と今日の違いも、時が流れていくことも分からなかったのです。
誕生日会を開きケーキにロウソクを灯し、子どもたちはとても喜んでいました。でも、それがどういう意味の会なのか、知っている子どもは一人もいませんでした。昨日、今日、明日、そして一ヶ月や一年という単位が分かって初めて誕生日について理解ができるのです。学ぶことで世界が開かれる
ガザにはろう学校がなかったので、この分野の専門家もいませんでした。そこでまず先生を養成するために1年間のプログラムをつくり、先生となる人たちもしっかりと選びました。学校の教員資格を持っている人で、これまで障がい者に対する活動に従事した経験や、活動を理解できる人などです。その上で1年間の養成期間を設けて、700時間かけて先生の訓練をしました。
先生の中にはヨルダンのろう学校で専門教育を受けた聴覚障がいの人も3人います。この先生方は自分の体験があるため、教えることがとても上手です。
言葉というものがあることを学んだ子どもたちは、すぐにモノの名前を覚えるようになり、他人に伝えたり読んだり書いたりすることができるようになるのです。たくさんの"未来"をつくるために
学校は、財政的にはいつもギリギリの状態で活動しています。しかし、子どもたちの家庭の多くは通学バスの交通費さえ払えない状況ですから、授業料を取るわけにもいきません。だから私たちの学校が自立していくには、学校自身が収入を得ていく方法も真剣に考えなければならないと考えています。子どもたちが卒業してから自立できるための職業訓練も大きな課題です。
アトファルナろう学校には、320人以上の子どもが入学を待っています。子どもたちを少しでも多く受け入れてあげたい、それが私たちの心からの願いであり、このためにも活動を更に広げていきたいと考えています。
STORY
アトファルナの開校
「家に引きこもって孤立している子どもたちと苦しむ親を何とかしたい」。初代校長・ジェリー・シャワさんが、ろう学校開校当時の様子を語ってくれました。
「アトファルナろう学校」の初代校長、ジェリー・シャワさんは、シカゴ生まれのアメリカ人です。パレスチナ人と結婚してガザに移り住み、障がい児のための活動を続けてこられました。(1994年、ジェリー・シャワさん来日講演から)
アヤットの挑戦
アトファルナろう学校から社会へ
「人生の中で何かを成し遂げられる、自分の道と居場所を見つけられる」。
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カフェの店長として
カッタンセンターもカフェテリアのスタッフはみな「ろう者」です。私は店長として、フルーツジュースやロシア風サラダなど新しいメニューを考えるだけでなく、盛り付けや材料の見分け方などについてスタッフを指導しています。毎日3~5時間、2人の女性スタッフと仕事をしています。現在3人目を入れようと検討中です。カッタンセンター側は聞こえる人を1人入れようと提案してきましたが、私は断りました。
「聞こえない人に、どんな風に話しかければよいのだろう」。最初、カフェテリアに来る人たちは戸惑っていました。でも私は、聞こえる人たちにろう者やそのコミュニティーとどう接していけばよいか知ってほしいと思っています。ろう者は社会の一部で、無視することはできないことも。
スタッフにも、怖がったり無視されていると感じたりしてほしくありません。むしろ自分たちはできるんだ、聞こえる人と一緒に働くんだと感じてほしい。聞こえる人とどう接すればよいか見つけてほしい。「聞こえる人」たちの中で
私自身は難聴なので少しは音声で話すことができますが、仕事では手話を使います。「手話しか使わないけれど、聞こえる人とコミュニケーションができるわよ」と言いたいからです。お客さんはまったく手話を知らないかもしれませんが、カフェのスタッフたちは「これがほしい」という手話を教えられますよ。
子どもたちの間では「聞こえない人がレストランで働いているよ。見に行こう。何か買ってみようよ」と話題になっています。メニューの中にチーズサンドを見つけて、ほしいものを指します。するとスタッフは子どもたちにチーズという手話を教えます。次からは子どもたちは手話で注文しますよ。スタッフも今では「私たちは大丈夫。みんなとコミュニケーションできるし、自分たちのやり方がわかったから」と言っています。今日は、私がカッタンセンターに行かないでおいて、彼女たちだけでどうやりくりするか試しているところです。
衛生面の管理には特に気を付けています。またテーブル、椅子、ナプキンのセットの仕方などは、アトファルナのガイドラインを適用しました。カッタンセンターでは衛生面があまり重要視されていないようだったので、私が改善したのです。私は4歳半でろう者になりました
私は生まれたとき聴力がありました。4歳半ぐらいの頃、砂遊びをしている最中、木材を運ぶ馬に顔を蹴られて木材がおなかに落ちました。4日間、こん睡状状態でしゃべれず、聞こえず、目も開けられませんでした。舌が切れていました。最近「手術をすれば90%の聴力は元に戻って、補聴器も外せる」と言われましたが、補聴器のあるろう者としての生活に慣れているので、今さらリスクを冒す気持ちはありません。
4年生までは一般の学校に行っていました。教室ではいつも前の席に座らせてもらって、表情や唇の動きが見える位置にいました。でも後ろの席になってしまうこともあって、もう学校にいたくない、家にいたいと思いました。そして「アトファルナろう学校」のことを聞いたのです。アトファルナで世界が広がった
初めてアトファルナに来たとき、最初はみんなが手で話をしているのが怖かったです。ジェリー校長(当時)が優しく手を引いて学校の中を連れて回り、私と同じような難聴の子どもたちを紹介してくれました。
最初の日にいくつか手話を覚えました。アート、コンピューターのメンテナンスなど、アトファルナの外でもたくさん研修を受けました。
その後、補助教員になり、1年生、2年生、3年生と受け持っていきました。それから図画工作のアシスタントになって、2年前には教師に昇進して、4年生、5年生、6年生を教えるようになりました。人生を拓き進む力を
「私はろう者で、難聴の女性。でも、プロフェッショナルとしての生活をしているんです」ということを、聞こえる人たちだけでなく仲間のろう者たちにも証明したいのです。「あなたは人生の中で何かを成し遂げられるし、自分の道を見つけ、コミュニティーの中で自分の居場所を見つけることができるんだ」と仲間を励ましたい。
学校を卒業しても家でじっとしているしかないろう者たちをたくさん知っています。そうした人たちに「大丈夫だよ、働けるよ」と背中を押してあげたい。テレビで料理番組を見ます。パレスチナの地方局にアイデアを持ち込んで、ろう者のための料理番組ができたらと思います。
今年のうちに、ガザ市にスタッフが全員ろう者のレストランをオープンする計画があります。そこは私にとってもろう者の仲間にとっても大事な場所になるでしょう。私はろう者と接することへの「恐れ」という壁を壊したいと思っています。ろう者と聞こえる人が一緒に暮らすために一生懸命働きたいと思っています。
また多くの人が「耳が聞こえない人は働けない」と誤解しているので、社会のみんなに「私たちはできる、時に聞こえる人よりもできるんだ」と知ってほしいのです。もうじき「ろう者たちが自分たちでレストランを作ったよ、運営しているんだ」と話題になりますよ。周囲の人々のメッセージ
「アヤットはとても意欲的です。私は創造的に仕事をしてくれる人を求めていました。料理ができると聞いたときは驚きましたが、アートも料理も同じだということを彼女が教えてくれました。」(「アトファルナろう学校」ナイーム校長)
「手話覚えたよ。(手話で)ジュース、2シェケル。うん、手話って面白いよ。」(カッタンセンターを訪れたある子ども)
「アヤットさんがマネージャーになって変わったことがいくつかあります。メニューが増えたこと、カフェテリアが清潔になったこと、ケーキやサラダの種類が増えたことですね。」(カッタンセンター職員)
STORY
アヤットの挑戦
アトファルナろう学校から社会へ「人生の中で何かを成し遂げられる、自分の道と居場所を見つけられる」。
アトファルナろう学校にあるカフェテリアの責任者、アヤットさん(ろう者)は、ガザ市内にある図書館、カッタンセンターのカフェテリア店長も兼任するようになりました。
カフェテリアはアトファルナが運営を委託されており、ろう者のスタッフが軽食やお菓子を提供していますが、利用者の多くは「聞こえる人」で、手話が通じるアトファルナとは大きく違います。
ろう学校支援の概要
期間 1992年~実施中
場所 ガザ
現在の活動
1992年、地元の女性たちと、ガザ初のろう学校「アトファルナろう学校」を開校以来、子どもたちは手話を覚え、それぞれの能力を開花させて自立できるようになっています。
期間 1992年~実施中
場所 パレスチナ・ガザ
(ガザ市)
現在の活動
1992年、地元の女性たちと、ガザ初のろう学校「アトファルナろう学校」を開校以来、子どもたちは手話を覚え、それぞれの能力を開花させて自立できるようになっています。
ろう学校支援
給食支援
手話を覚え、能力を開花し自立できるように
「クラス・スポンサーシップ」開始
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多彩な学習指導
アラビア語(国語)、算数、英語、理科などの学習のほか、図画工作、劇、パソコン、アニメ製作などの課外活動を行っています。特に、公立学校と連携して実施した課外活動は、聞こえる子、聞こえない子の垣根を超えて、交流する機会となり、子どもたちの心理的壁を取り除くことができました。
また、学年を超えて活動することで、子どもたちがより楽しみながら学ぶ活動を実施しています。 -
給食支援や物資支給
2019年から小学校2クラス(18人)のクラス運営を助ける支援です。例えば、教科学習の教材、給食、スポーツ用品などの必需品支援、給食支援、教員給与などを提供し、子どもたちが教育を受けて続けられるように支援をしています。
職業訓練
2005年〜 社会参画と自立支援を目的とする
「アトファルナ職業訓練コース」を開始
ガザの失業率は、54%といわれていますが、障がい者に関する調査(2019年)によると、18歳以上の男性の障がい者の25.9%は就労困難な状態で、残り72.9%が失業中、働くことができているのはわずか1.2%に止まります。女性の障がい者は、3.1%が就業困難、44.9%が失業中、50%が家事手伝いとされています。つまり、成人した女性の障がい者のほとんどが社会と接点を持たない状況で暮らしているということです。
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伝統刺繍や織物、工芸品の製作、調理、接客サービスの指導
2005年から社会参画と自立支援を目的とする職業訓練コースも開始し、70人を超える青少年がパレスチナの伝統刺繍や織物、工芸品の製作、調理、接客サービスの指導を受けています。
ろう学校の卒業生たちは、職を持ち、家庭を持ち、市民としての誇りを持って生活をしています。刺繍や木工製品を作る工房に通う制作スタッフの他に、270人が内職で働いています。 -
2019年から身体障がい者への職業訓練も開始
2019年からは、聴覚障がい者だけでなく、新たに身体障がい者への職業訓練にも取り組んでいます。調理、製菓、縫製、刺繍、木工、ソファ製作、WEB制作などの職業訓練コースを開講。各コースで10人が受講しました。
支援活動のレポート
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アトファルナろう学校2016
幼稚園、小学校の子どもたちと、お父さんの手話教室の様子を動画でご覧ください。
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アトファルナろう学校紹介 聴覚障がいの早期発見・早期支援
子どもたちへの遊びを通じた手話教育や母親のワークショップの様子おを紹介します。
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聴覚障がいの早期発見と支援の事業報告
[サラーム No.105 2016.3.26](PDF 1.51MB)
アトファルナろう学校で始めた新事業は、子ども本人だけでなく、母親や父親などの家族や地域のコミュニティなどを巻き込んで、変化を広げています。
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ガザでの新たな活動:聴覚障がいの早期発見・早期支援
[サラーム No.103 2015.7.18] (PDF 2.71MB)
乳幼児の聴覚スクリーニングや専門的な検査など、新たな取り組みを始めました。
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現場からの短信 アトファルナろう学校21周年
[サラーム No.96 2013.6.8] (PDF 0.99MB)
ガザのアトファルナろう学校は、2013年で21周年を迎えました。
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アトファルナ・レストラン開店
[サラーム No.95 2013.3.9] (PDF 0.58MB)
2012年10月、ガザ市内に「アトファルナ・レストラン」がオープンしました。働いているのは16人の若いろう者と1人の健聴者。うち5人は女性で、ガザでは女性が働くレストランは極めて珍しいのです。
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アトファルナろう学校開校20周年
[サラーム No.92 2012.5.18] (PDF 0.77MB)
2012年、アトファルナろう学校は開校20周年を迎えました。小・中学校、幼稚園、聴覚検査、刺繍・木工などの職業訓練、家庭支援、カフェテリアなど様々なサービスや就労の場を提供し、地域、行政、国連から頼られる存在です。
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ガザの子どもの夏休み
[サラーム No.90 2011.9.24] (PDF 0.41MB)
アトファルナろう学校のサマーキャンプの様子を紹介します。
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ジェリー・シャワ校長来日報告会
[サラーム No.80 2008.7] (PDF 3.75MB)
アトファルナろう学校のシャワ校長が、封鎖が極限状態に達しているガザから来日し、現地の状況を伝えてくださいました。
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駐在員がガザから報告します
[サラーム No.79 2008.4] (PDF 2.67MB)
2008年4月、前年6月に起きた戦闘以来、物資だけでなく外国人の出入りも厳しく制限されていたガザにようやく入ることができた当会の駐在員による現地の様子についての報告です。